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  • 2014.12.07 Sunday
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和歌山県串本町 紀伊大島樫野埼 エルトゥールル号の遭難場所です。


久しぶりに見る太平洋は波が大きく
慣れ親しんだ瀬戸内海とは違います。

トルコ記念館はそんな海のへりに建っていました。

中はトルコの名産品や日本とトルコの交流を紹介する部屋と
エルトゥールル号の遭難にまつわる品を展示する部屋に分かれています。
遭難者の遺留品、紀伊大島の村長の事故の記録、治療にあたった医師のカルテ
当時救助にあたった島の責任者たちは、律義に記録をとっています。

前回、説明しなかった寅次郎さんですが、
彼は事故の後、トルコと日本の橋渡しとなった人です。
遭難事故の義捐金を携えてはるばるトルコへ行き、
トルコで落ち着き、雑貨屋さんを始めました。
日本人で初めてムスリムになったうちの一人と言われています。

記念館をきっかけに、新しく分かったこともあります。
寅次郎さんがトルコに滞在していたのは1892年から1914年です。
陸軍で日本語を教えていたのですが、
学生の中にはトルコ建国の父ケマル・アタチュルクもいたそうです。

当時、トルコの情勢は不安定で、ロシアを筆頭に西洋列強から圧力を受けていました。
1905年、そのロシアのバルチック艦隊を破ったのが、
同じアジア人の東郷平八郎でした。
今に伝わる「Togo」がその時のトルコの熱狂ぶりを想像させてくれます。

ようやく私の中で「エルトゥールル」「Togo」「寅次郎」が結びつきました。

アタチュルクは日本の明治維新や富国強兵から影響を受けたそうですし、
日本でもイスラムを介して同盟圏を作ろうといった主張もあったそうです。
少し複雑な心持もしますが、
トルコと日本の間には日本人が知らない熱く想い合う時代があったようです。

その後トルコと日本は正常な国交も結ばれず、
トルコでは「おしん」までの空白期間があり、
かたや日本ではすっかり忘れ去られてしまいました。

エルトゥールル号の話がトルコ人との社交辞令として持ち出される時、
どこか居心地の悪さを感じるのは、
忘れていた昔の初恋を、話すような気分になるからでしょうか。
摩擦もなく、遠いところから想い合う初恋です。

二国の間に良いエピソードがあるのは、本当にラッキーなことです。

今は人口の少なくなった串本も
クジラ漁などで当時は栄えていたかと思われます。
何しろ治療にあたったお医者さんが、小さなあの島に3名もいたそうですから。
決して海洋国家ではないトルコ軍艦の沈没に
本国の人たちはどれほど恐怖を感じたか。
世界情勢が激変し、西洋列強に追いつこうとしていた両国。
私たちの知らない時代を考えさせてくれます。

ただ、あまりにも美談が喧伝されるのを見ると、
初恋はひとりで思い出し笑いするくらいが罪がない。
そんな気もします。

  • 2014.12.07 Sunday
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